西陣は、京都市街西北にあたる地域で、平安時代以前からの織物生産の中心地でありました。 宮廷の織物を管理していた「織部司(おりべのつかさ)」と呼ばれる役所が置かれ、織り手を集めました。そして中国から伝わった技法などを取り入れ、綾織や錦織、唐織などの高級な織物が織られたといいます。それらは衣装だけでなく、寺院の装飾用としても用いられました。 応仁の乱の後、地に離散していた織物職人たちは京都に戻り、西軍の跡地で織物作りを再開します。それにより、戦乱以前から織物の町として栄えていた京都北西部の一帯が「西陣」と呼ばれるようになりました。