近年、成年皇族となられた若い方々のお姿が報道される機会が増え、その凛とした佇まいや装いに注目が集まっています。とりわけ、皇族の方々がおそろいで並ばれる場面では、「どのようなお召し物を選ばれているのか」と気になる方も多いのではないでしょうか。ロープデコルテにティアラというお姿はもちろんのこと、ドレスやワンピース姿なども美しく着こなしていらっしゃいます。また海外訪問での振袖姿もとてもよくお似合いで、日本人として誇らしい気持ちになります。
さて、日本で最初にドレスに袖を通したのは明治天皇の皇后、美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)です。
昭憲皇太后の御崩御から110年にあたる令和6(2024)年には、東京の明治神宮で、皇太后がお召しになった「大礼服」(ドレス)が5年間にわたる修復を終え、実際にお召しになっていた十二単などとともに展示されました。
十二単、五衣(いつつぎぬ)、袿袴(けいこ)をお召しになっていた公家出身の当時の昭憲皇后が、皇室史上初めて腕や首をあらわにさらすドレスをお召しになるには、相当の抵抗があったことと察せられます。しかし昭憲皇后は「国のためならば」とドレスをお召しになることをいとわなかったです。長年の鎖国による鎖国による新興国日本が、欧米諸国と肩を並べるためには皇室の洋風化は避けて通れない道でした。そして明治22年の大日本帝国憲法発布式にもドレス姿で臨まれました。
新衣(にひごろも) いまだきなれぬ わがすがた
うつしとどむる かげぞやさしき
という歌を詠まれています。
ご自身は大変小柄で身体も強くなかったためお子は授かりませんでしたが、側室の子を自らの子としました(のちの大正天皇)。津田梅子の海外留学に象徴される女性の教育や、日本赤十字社の全身である博愛社の頃から個人的に支援を続けられていたことから、美智子上皇后も昭憲皇太后のなさりようをいつも心の片隅に置いていらっしゃるといいます。
また、あまりに休息に進んでいく日本の近代化の中で、失われてはならない日本の養蚕にも心をお寄せになり、明治4年には吹上御所の一部に御養蚕所を設け、桑の栽培、蚕の飼育などをお始めになりました。これを機に歴代皇后が宮中での養蚕を現在も引き継いでいます。さらに明治6年にはユネスコの文化遺産となった群馬県の富岡製糸場を行啓し、そこで働く女工たちを自ら激励しました。鉄道のない時代、御所から5日かけての長旅でした。衣服の改良に当ってもできるだけ国産でとの思し召しでした。
美智子上皇后、雅子皇后、そしてお若い皇族たちは今、昭憲皇太后を良きお手本としながら着物を折に触れて着こなし、私たちへ装いの心得を教えて下さっているかのようです。
後の世の大きなお手本となった昭憲皇太后は、時代の変化に対するしなやかな適応力と歌聖と呼ばれるほどの深い教養で、お若い皇族方や、現代を生きる私たちに大きなものを残して、明治天皇と共に故郷京都の伏見桃山陵、東陵に眠っていらっしゃいます。