竹久夢二の描く美人画の女性は、憧れてその着方やコーディネートをお手本にする女性たちが多く、特に夢二に縁のある土地を尋ねるときには、ゆかりのある美人画のコーディネートを真似て大正ロマン気分を味わう人もいるほど今も根強い人気を誇っています。
描かれた女性は、夢二が恋をした女性であり、夢二を慕った女性たちだからでしょうか。情緒的で色気や愁いがあり、それでいてどこか品のある美しさ。長い首やなで肩、柳腰にゆったりとした衿合わせ。ほんのりと赤らんだ頬は、恋する女性の恥じらいのようにも見えます。どうして、こんなゆるゆるの着姿にあこがれる人が多いのでしょうか?
夢二の描く美人画をそのまま真似てきものを着ると、着付け教室の先生からは思い切り直されてしまいそうです。のみならず、街に出れば二度見されたり、振り向かれたり、きものパトロール隊から声をかけられて直されてしまいそうですね。でも、家でくつろぐとき、近所へお買い物へ行くときの着姿が、あまりにもシワ一つ隙のない着姿になると逆に違和感を感じてしまいます。シワ一つない非の打ち所のない教科書どおりの美しい着姿は、会う人にも緊張感や、プレッシャーを与えてしまうこともあるいはあるかもしれません。
自宅でいつもよりも、少しゆったりときものを着てみるのもよいでしょう。着る、着付けるというより、ふわりとまとうという感じでしょうか。きものでくつろいでみたり、ちょっと家事をこなしてみたりそれぞれの身体にきものが美しく沿い、窮屈さや疲れを感じない自然な着方や着こなし、そして身のこなしは、そんなふうに身についていくのかもしれません。着せられたり、着付けられたりしている人、着慣れていない人の着姿は、初々しい感じがして微笑ましい反面、なぜか着慣れていないことが分かるような気がしませんか?着崩れていなくても、キレイに着せてもらっていてもなんとなく分かる。
きっと、ごくわずかなことなのでしょうけれど、キッチリキツくて着ている着姿と、ゆったりふんわり着ているのになぜかだらしなく見えない着姿の間には、もちろん着た回数、きものの歴にもよるのでしょうけれど、もう一歩極めるためには、家で来てみるのが良いのではないでしょうか。着たまま昼寝などしてみるくらい、自分の身体にきものが寄り添うようになってきたら、夢二が描いたあの女性たちの自然で美しい着姿に近づけるのかもしれません。きちんと着付けができるようになったら、次は、買い物籠から大根やネギが顔をのぞかせていても違和感のない自分だけの着姿を身につけてみませんか。礼装はきっちり、小紋、紬、木綿はゆったり。そんな着分けができたらすてきです。